第83回「西寺跡」

 東寺の南西部に位置する羅生門跡。それを線対称にするように位置しているのが西寺跡。この石碑が建っているところで東を向くと、東寺の五重塔が見える。本当に線対称に位置していたのだと改めて感心してしまった。
 この西寺は東西約250m、南北約510mあり、金堂・講堂を中心として南大門・中門・五重塔などの伽藍が偉容を誇っていた。
 西寺は東寺と同様天皇の国忌を行う官寺の役割を持っていた。また、律令機構の一端を担う鴻臚館として外国使節接遇の施設であったと言う説もある。

 建築は796年。羅城門の東西に東寺と西寺が建立され、平安京を厄災から守ると言う意味があった。823年に東寺は空海に、西寺は弟子の守敏に下賜されるも、990年火災に遭い、焼失。ほどなくして再建されるも1233年に再び、焼失。その後、衰退し、廃寺となってしまった。

 この西寺跡には講堂跡が残されている。その他にも、金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認された。
 現在は発掘時出土した金堂礎石の一部が残るのみで、南側に位置する京都市立唐橋小学校の敷地や講堂跡の都市公園唐橋西寺公園になっている。塔跡は、唐橋小学校の敷地付近だが礎石等は地下に埋もれているのか、小学校造成時までに破壊されたのか確認されていないため、推定地の発掘調査が行われた。

 実はこの西寺は浄土宗西山禅林寺派の「西寺」が後継寺院として、JR西大路駅近くに存在する。
 元は西方寺の寺名だったが、1894年に平安時代の西寺を継承して西寺に改称したものである。824年に神泉苑の池畔で行われた雨乞いの祈祷で東寺の空海に敗れた西寺の守敏の木像も安置され、毎年4月15日に開帳されている。