第80回「哲学の道」

 京都市東山区。
 蹴上から琵琶湖疎水が分水し、北上して行く。そして、南禅寺の境内をぐるっと回るようにして建つアーチ形の水路・水路閣の中を通り、北上して行く。春は桜が満開になり、秋は紅葉が見物だ。

 哲学の道は1890年、琵琶湖疏水が完成した際に管理用道路として設置された。若王子橋から銀閣寺橋までの約1.5km区間を哲学の道と称し、用水路のように流れて行く。

 何故、哲学の道と呼ばれるようになったのか。
 明治時代、この近辺は多くの文人が住むようになり、「文人の道」と称された。その後、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたことから「哲学の小径」と言われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれるようになったと言う。正式に「哲学の道」として整備されたのは1987年のことであった。

 一番の見どころは何と言っても桜並木だろう。
 哲学の道の桜は、近くに居を構えた日本画家・橋本関雪と妻・よねが、1921年に京都市に300本の桜の苗木を寄贈したのに始まる。
 画家として大成した関雪が、京都に対する報恩を考えた際によね夫人が桜を植えてはどうかと発案をした事による。
 この桜(関雪桜と言う)を管理しているのが佐野藤右衛門。この佐野藤右衛門、まずその名前は嵯峨野にある造園業「植藤」の当主が襲名する。第14代佐野藤右衛門からサクラの育成を手掛け、第15代、第16代(1928年~)の3代にわたって「桜守」として知られている。多くのサクラの栽培品種が見出されて増殖され、全国にその名が広まった。
 現在の第16代佐野藤右衛門は桂離宮、修学院離宮の整備を手がけたり、パリ・ユネスコ本部の日本庭園や京都迎賓館の庭園を棟梁として造成している。