第70回「五条大橋」
♪京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 長い薙刀振り上げて 牛若目掛けて斬りかかる
童謡「牛若丸」で有名な鴨川に架かる橋。現在、この橋の真ん中の中央分離帯には小さな公園が整備され、そこに牛若丸と弁慶が戦う石像が設置されている。
この五条大橋は長さが67.2m、幅員35mのコンクリート製。
最初に架けられたのは分かっていないが木造の橋だったものを、1590年に豊臣秀吉が方広寺大仏殿の造営にあたって石柱の橋に改修したとされる。1645年になると橋脚が石造りに変わり、高欄に青銅の擬宝珠が付けられた。
その後、地震や洪水、大火などで5度改築される。
その当時の五条大橋は中央の反りが高く、「虹のような橋であった」と言われていた。
明治時代に入り、木造の洋風白塗りの橋になるも水害などで流され、現在の橋は1959年に五条通の拡幅により架け替えられたものだ。
さて、では上記の童謡「牛若丸」の五条大橋のことであるが、実は現在の五条大橋が牛若丸と弁慶が戦った橋ではないらしいのだ。
歴史を見ても架橋された時代が不明であるとは言え、秀吉の時代に架け替えられていると言うことは牛若丸が生きていた時代には橋は架かっていなかったと言うことになる。しかも、牛若丸と弁慶が出逢った場所と言うのがこの五条大橋の「五条」ではなく、清水寺の境内、または現在の五条大橋より少し北へ上がったところにある松原橋付近、更には西洞院の近くだったと、様々な説があるのだ。
因みに、現在の五条大橋の北にあるのが松原橋。
秀吉が現在の五条の橋を架けたことから、「五条」と言う名前がそっちへ移ってしまったと言う。この松原橋も1935年の鴨川水害の際に流され、新しいものに架け替えられている。