第59回「足利義輝邸跡」

 京都御苑の西、下立売通を少しだけ西へ入り、1本目を南へ下りてすぐのところに立つ石碑。今、ここは平安女学院中学校になっている。
 ここは昔、室町幕府第13代将軍足利義輝の屋敷があったとされる場所だ。

 実は、この足利義輝の邸宅と言うのは「二条城」でもある。二条城は現在の場所へ移転するまで何度も何度も場所を変えている。そのうちの初代の「二条城」跡には、室町時代には「武衛陣」と呼ばれる邸宅があり、斯波義将が住んでいましたと言う。
 だが、1467年からの「応仁・文明の乱」で焼失してしまった。そして跡地に1547年、足利義輝の館が築かれ、ここで政務を行ったとされている。
 しかし、そんな義輝も1565年の永禄の変により、三好三人衆によって攻め込まれ、殺害されてしまう。その時、この城も焼失してしまったとされる。

 足利義輝の邸宅は現在の平安女学院大学と平安女学院中学校を跨ぐほどの大きな邸宅だったとされている。室町時代も終わりの頃には、三好、松永の軍勢が京都を支配し、将軍は京都を追われ、近江と京都とを行ったり来たりしていたと言う。
 そんな世の中を終わりにし、平和を取り戻したいと、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀が義輝、義昭に仕え、更には信長に仕え、三好と松永をけん制し、将軍を京都へ迎え入れることに成功している。

 「麒麟がくる」では義輝は向井理さんが演じていた。煌びやかな服を纏っているものの、結局は三好と松永の傀儡にしかすぎず、愁いを帯びた表情がとても切なかった。
 でも、最後は武人の棟梁として、また、義輝は武術が得意でもあったとされるので、槍を振るい、懸命に頑張ったが結局は三好の軍勢が持って来た障子に挟まれ、身動きが取れなくなったところを殺害されてしまった。ドラマでは障子に挟まれていたが、転んだ拍子に畳みで押さえ付けられ、その上から槍に刺されて殺害されたと言う説もある。
 そう言う犠牲の上に、江戸時代が築かれて行くのだと思うと、この時代は本当に切ないことが多かった時代だったんだと感じさせられた。