第4回「平等院鳳凰堂」
京阪電鉄宇治駅とJR奈良線宇治駅それぞれからほぼ同距離にある平等院鳳凰堂。個人的には京阪電鉄宇治駅から徒歩がお勧め。宇治川に掛かる宇治橋を通ることも出来、景色がきれいだからだ。
この「鳳凰堂」と言う名前は江戸時代になってから付いた名前で、もともとは「平等院阿弥陀堂」と言われていた。屋根に鳳凰の棟飾があることから「平等院鳳凰堂」となった。
もともとは998年に藤原道長が別荘として「宇治殿」としていたのが始まり。平安時代、天皇家の外戚にまで昇り詰め、権力を欲しいままにした摂関家。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」。この詠が表すがごとく、道長の権力は絶大なものだったのである。
時は過ぎ、1052年。道長の子・頼通が本堂である阿弥陀堂を建立。
本堂に安置されている阿弥陀如来像は定朝様と言われる作風で、ふくよかな体格に優しい眼差しをしている。その中にも頬の張り具合は仏の威厳を保っている。
時は末法思想の世の中。仏教の教えは存在していても、修業もなければ、悟りも開けないと言う世の中に突入したその年だった。人々は仏(阿弥陀如来)の力におすがりし、極楽浄土を夢見ていた。まさにその時、頼通はこの阿弥陀堂を建立する。それは、末法思想に対する人々を救済するためだけではなく、絶大な権力を誇っていた父・道長の死後の藤原家の栄枯盛衰への不安もあったのかもしれない。
2014年、大改修を終えた鳳凰堂は創建当時の色を取り戻している。また、平等院の南側に位置する宝物館「鳳翔館」には、鳳凰堂の阿弥陀如来の周りに飾られている雲中供養菩薩像のうち、半分の26躯が安置されている。もともとは阿弥陀如来が、亡くなった人をお迎えに行く際に同行し、音楽を奏でたりする菩薩のことであり、それがリアルに再現されている。