第1回「勝常寺」
会津若松から車でおよそ40分。のんびりとした長閑な田園地帯の中に佇むお寺。
遠くには広大な山々が広がり、手前には長閑な田園地帯とそこに住む人々。まさに理想郷と言ったような、どこか懐かしい風景を感じ取ることが出来た。車でおよそ40分くらいなのに、会津若松市とは全く違った風景がそこには広がっていた。
正直、この会津若松は大きな仏像が多い。それがまさかまさか、奈良と大きな繋がりがあったなんてこの時まで知らなかった。
このお寺は807年、徳一上人によって開山された。この徳一上人は平城京で絶大な権力を持っていた藤原仲麻呂の子供と言われているのだ。彼は奈良の興福寺で修行をした後、若くして東国へ旅立ち、会津までたくさんの寺を建立したと伝えられている。徳一上人は特に会津地方に多くのお寺を建立し、ここに一大仏都が誕生した。
この会津地方は東北地方で最も早く仏教文化の花開いた地域で、奈良、京都、鎌倉、平泉と並ぶ日本五大仏都であったとも言われている。
ここのお寺の見どころはやはり国宝の薬師如来像。写真の薬師堂に安置されていて、9世紀頃に建立された欅材の一木造で像高約142cm。会津五薬師の1つと数えられている。
薬師如来像以外にも国宝の仏像がたくさんある。
収蔵庫には薬師如来の脇侍である日光・月光菩薩像をはじめ、四天王像、十一面観音像、虚空蔵菩薩像などが安置されている。日光・月光菩薩立像は1996年に東北では初めて国宝に指定された。これは近畿地方以外の仏像では国内3番目だと言う(1つ目は鎌倉・高徳院阿弥陀如来像、2つ目は大分・臼杵磨崖仏)。
ちなみに、「♪しょっ、しょっ、勝常寺〜」で有名な童謡「しょうじょうじのたぬきばやし」の舞台はここではない。作詞をした野口雨情(この人も東北にゆかりのある人)が千葉・木更津を訪れた際に聞いた證誠寺(しょうじょうじ)の狸囃子伝説をもとに作詞したのだそうだ。